作業部屋は日中はさておき、こんな陽が落ちて一寸してからも、扇風機をつけていないと汗がじとづくような長野県伊那市ではありまして、本気でこういう環境で聴きたいBGMを選びたくなりますが、残念ながら我が家のiTunesは「夏向け涼しげ」っていうカテゴリーを用意していないので、なんていうんだろう...疲労を伴って感じるサウダージ(この言葉自体は疲労とか夏とかの関係語句ではないんですが)、このまま寝て見れるような夢の在り方を想像してみたら果たしてどうだろう、サウダージのようだったらいいなぁ...っていう速攻帰結的で無理矢理な展開を踏まえて、「ドミンゴ聴きたいなぁ」って思ったんです。
ドミンゴ(domingo)って「日曜日」って意味。
聴いてみると日本人にはこれは決してサウダージを感じさせるようなアイテムではなく、また、特に日曜日の何かしらを連想させるものでもなく、
カエターノ(註:Caetano Veloso)とガル・コスタ(註:Gal Costa)とのデュエットによるボッサ・アルバムの67年作。トリピカリズムも直前のけだるさ,のような物を感じることもできるが絶望もないが希望はかげろうのような生命力としてここに漂っている。淡々とした歌唱と甘いメロディが切ない。
「トリピカリズムも直前のけだるさ,のような物」も正直、感じられない。
ここには、ある程度音量を保っていないと聴き取れないような、美しい小曲がそれこそ「淡々」とその曲順を消化するべく存在するに過ぎないんです。
ジャケットを眺めて欲しい。 切り取られたこの写真に写る作品の主人公は、ただそこに存在するだけで、ただ存在するだけの儚さが充ち満ちているようでもあります。
暑さも寒さも無く、ボサノバの終焉とかも無く、あぁそこに(ここに!)存在しているのだったら...。