今野裕一と浅井隆という、濃い感じの対談。
興味深いところが2カ所あって、
今野:…もうひとつ面白いのは、『夜想』が復刊してダメになったねと言われるんですよ、30代半ばから上の人に。
浅井:それはテキスト量が減ったっていうこと?
今野:そう。文字だけの方がいいよね、昔みたいにハードに言葉を使わない雑誌なんてエッジが立っていないとかって大半の人に言われる。文字はわかりやすくなっているかもしれないけど、昔の1.5倍くらいの文字数が入っている。なぜかといえば版がデカイから。
夜想は年イチのペースで刊行されるのだそうで、次は「モンスターとフリークス」なんだそうですけれども、その復刊した夜想が30代半ばから上の人にダメだと評価されているらしいんです、テキスト量で。
あー私も一応は30代半ばから上の人なんですが、そんな風には思った事もなかった。 図版が大変多くなったなぁとは思ったけど、それがイコール「ダメになった」とか、そういうマイナスイメージには結びつかなかったなぁ。 ホントにそんなテキスト量の事だけで、夜想がダメになったと言われてるんでしょうか。 不思議な世界の話ではあります。
夜想がダメになったのは、そりゃ夜想に問題があるのかも知れないけど、大体が読み手の問題なんじゃないかって思うんですよね。 柔軟性の無いロートルになっちゃってね、頑固爺みたいに「こんなの夜想じゃないっ!」みたいに叫んじゃうようなね。
私は復刊した夜想を、あまりに今のインターネット社会に迎合し過ぎているなぁとは思ってますけど。 もうちょっと切り離した...っていうか一般社会から切り離した...世界構成であって欲しいなぁと「願って」るんですよね。
インターネットといえば、
今野:ネットはすごいんじゃない。すごいけど、劣化コピーの温床だよね。ネットに書かれていることを引用しながら、皆書くじゃない。引用元が嘘のことが多い。適当に書いてるから。それが広がって定着するとウィキペディアに書かれる、するとそれを皆が引用する。ダメなもの、楽なものが世の中に広がっていって文字情報になるのが基本的。僕も使うけど、あっているか間違っているかは本なり本人なりに確かめないと、自分では書いたりできない。ネットは入り口的に早いから、興味がちょっとあれば調べるし、僕はものすごく使うよでも信用していない。
発言の中身をどうこうっていうんじゃなくて、はいじゃぁ引用してみましたよ、って話。 真実性っていうのは大事だけども第一命題じゃないと私は思うんですけどねぇ。