新左翼とロスジェネ

二〇〇八年、未曾有の『蟹工船』ブームが巻き起こった。この現象は、若年貧困層らが抱く不満や、連帯への渇望を表しているのだろうか?また、巷に蔓延する 閉塞感と八〇年前のプロレタリア文学の世界をつなぐバトンの在り処とは?本書は、一九七五年生まれ“ロスト・ジェネレーション”(失われた世代)のジャー ナリストが、戦後の新左翼運動とその周辺を描いた文学を紹介しつつ現代の連帯を模索した、注目作である。キーワードは—「自分探し」。

キーワードは「自分探し」ではありません。 先にきっちり申し上げておきまする。 この紹介文はこの本の第一章を舐めただけで全体を言い表そうとしているだけであります。 ただし、「戦後の新左翼運動とその周辺を描いた文学を紹介しつつ」はその通りですし、その部分だけ読んでおけば(残りはこじつけに近い印象を残す)良しとするべきです。 このように割りきって読めば、新左翼文献の入門書としてかなり高いレベルに達した本であると気付かされます。 一応これだけ引用しちゃおうかな。 このフレーズ、すごく好きなんです(ブント事務局長の言葉)。

「畜生、畜生、このエネルギーが!このエネルギーが、どうにもできない!」

さて、そんなのは全然さておき(ぉぃ)、このロスジェネという言葉、ロスト・ジェネレーションという言葉。 失われた世代、という事のようですけど、私がこういう何々世代っていう言い方が大嫌い。 なーにがロスジェネですよw、みたいな。 鼻で笑ってやりたい位に陳腐に見えるんです。 こう、「失われた世代」と言ったり言われたりすれば何か救われるのか、現実的に享受できるものがあるのか、と思ってしまうんですよね、現実主義的に。 それを踏まえてロスジェネさん達が自分たちを指してロスジェネロスジェネと言ってるのを目にすると、そんなので慰め合ってどうするんだと、掛け声だけにしか聞こえないぞと、そう思っちゃうんです。

というのもどうやら私自身は何世代かと申しますと「バブル世代」でございまして、あまりの恥ずかしさにこんなエントリーの上でないと言えない位なんです。 バルブ世代(違)。 バブル世代(笑)。 やめてくれよもー。

そういえば昨日、ゼロ世代が「終了」しましたね。