村崎百郎の本

2010年7月23日、読者を名乗る男に自宅で刺殺されるという衝撃的な最期を遂げた鬼畜系ライター、村崎百郎。その謎に満ちた半生を、京極夏彦、根本敬などの関係者の証言や、本人が遺した文章などから綴る。「鬼畜」と呼ばれた男の本当の姿とは何だったのか。全読書人必読の書。

買わないよ、って簡単にツイートしておきながら、結局はアマゾンで予約していたっていうこの為体でしたけど、届いてみればその日(昨日)のうちに読了してしまうのも業かもねぇ。

買わないって言ってたのは、もう私の中でサブカルチャーというものが終わってると総括していたからなんです。 もっと言えば、私が色んな事情で離婚とか長野県へ流されたあたりで終わり始め、佐藤伸治が死んだ時にかなり終わり、青山正明が自殺した時に終わってたんです。 そんなふうに私にとってのサブカルチャーは、人の死で幕を下ろすようなもんなんだねぇ。

でも流石に村崎百郎が死んだのを受けてこの書籍が刊行されると聞いたとき、最初はスルーするつもりでいても、気がついたら数日後に書庫に行ってあぶない1号とか読み返してみたりしている自分がいたりで、終わってんのか終わってへんのかよくわからん状態でもあったんです。

まぁ、終わってんだろう。 でも再確認するのもいいかなぁ、って。

サブカルっていうのは私にとって、思い返しても恥ずかしい気持ちにならないもののようで、書庫でちょっとの間しゃがみ込んで資料を読んでいてもどうという事もないんですが、それはなんでかというと、読んで居た堪れない気持ちになっちゃうようなものはこっち(長野県)に来てから金策に迫られて手放しちゃって今手元に無いからなんです。 あぁいうのがまだ手元にあったらまた別の、いやまったく違う印象になっていたも知れません。 だからあれはあれで良かったんだなぁって。

この書籍。 すごーく昔に読んだことのある原稿とか再掲されていて、すごく懐かしい気持ちになっちゃったんですよね。 村崎百郎は鬼畜ライターではありまして鬼畜なんではあったんでしょうけど、文章を読むに鬼畜な部分は直接的に相手に向かっていないんですよね。 すごくわかやすい言い方に換えると「(ここでは書けないような鬼畜な言葉・・・)なお前らが見たいぜ」みたいな感じなんです。 あー私はそう解釈してんの。 だから表層的な部分が鬼畜で、それが強烈だから全部鬼畜に見えちゃうけど、全部じゃないっぽいよね、っていうさ。

んでペヨトルの黒田一郎だっていうのも知っていたので、黒田一郎が黒田一郎として出せない村崎百郎の存在性っていうのも注視してみれば、詳しいことはわかんなくても二重性があるんだよね位の事は誰にでもわかるんじゃないかって思ってました。

そしたら大変遺憾な殺され方をされちゃったしねぇ。 鬼畜のままそうなったならいざしらず。

ともあれこの書籍は村崎百郎と黒田一郎をうまく結びつける興味深い資料でありました。