タカダワタル青年、17歳。ミュージシャンになる前に感じていたすべてのこと──。
没後10年を迎えるフォーク・ミュージシャン=高田渡。
彼の、17歳から21歳にかけての日記が発見された。
まだ本格的に音楽活動を始める前の彼自身の、そして日本フォーク・シーンの黎明期の、
甘くてせつない“青春の記録”。
高田渡にも17歳の頃があったそうで、さぞ老成しちゃった17歳だったんだろうなと思いきや、普通に17歳で驚いた。 ただ、時代が時代なので(なにせビートルズが来日したころ)17歳といっても「地図」系じゃないし、かといえ蝉の幼虫よろしく地味な訳でもなく、若さゆえか病気であろうわりには活発であり、活発すぎるきらいもあり、しかしながら日記を「唯一の友」とする内向性も持ち合わせ、要するにこの時期はめんどくさいのであります。
日記の書き始めの(日記を書くことに対する)熱意も若さならば、徐々に間隔があいてしまうのもやはり若さ。 それが若さであり、否定することはあり得ないけど、私のこのトシになりますと肯定する必要性もなくなるのでありまして、淡々と読了したのであります。
私の場合、私の父親が若いころどうものごとを考えていたのかを知りたいとは思わないし、私の子供に対して私の若いころの思いを伝えることはないだろうので、淡々とした中のすべては客観的であったのでありますのであります。
それにしても驚くのは、高田渡にも17歳の頃があったということです。