七宝作家(あるいは Mac ユーザー) 猪狩純 さん、セブの元へ旅立つ

1997.12.30 小町屋にて

Mac 関係というのか、パソコン関係というのか、ネット関係と言い直すべきなのだろうか、こちら方面はもう没交渉となってしまった方が大変に多いですし、できる限りはお伝えしましたけど明らかに漏れがあるかと思いますので、不肖の弟子としましてはホームページでお知らせすることが何よりの事なのかと思いましてこのエントリーを公開します。

神奈川県横浜市の出身で(湘南で育った!ってボールドで書いて!ってよく言われました)、長野県伊那市在住の七宝作家でありますところの猪狩純女史(俺+14)が亡くなりました。 本日荼毘に付したとのことで、身罷ったのは一昨日とのことです。

私は葬儀に参列していません。 よって伝聞(お知らせくださった方を公開していいのかわからないのでこうします)限りでありますからその点ご容赦願いたいのですが、故人においてはその死をあからさまに公表しないことを言い残したそうです。 隣組並びに極々近親者でのみ、葬儀が営まれたそうです。

女史は癌でありました。 公表されているプロフィールによると、2008年に甲状腺癌でこれを全摘出。 しかし肺に転移しておりその後呼吸器障害となり、私事ですが父の写真展にボンベを背負って観に来てくれたことを思い出します。

私が知り合ったのは1997年の秋口のころで、いや、それはこの際どうでもいいです。 それよりも、本来だったらここでもっと語りたいことが山ほどあったのに、事実お互いが死んだら「生き残ったほうが伝え残す」的なインタビューを何度も何度も繰り返し、いくつかの断片的なドキュメントが残っているはずなのに、Mac OS が Max OS X となり、なんやかんやあって macOS になった頃には散逸してしまったのが本日は悔やまれます。

それよりも今、死んだことを悔めよ、って思うでしょ。

そうするなって、いうんが遺言なんだもん。 するわけねぇだろ。

そもそもに私が葬儀に参列できなかったのは、もうそういうのが終わっちゃったからであります。

あたしが死んでも、きっとそこから見ているからさ、ちょっと生きてて、ちょっと死んでるあたしがそこにいるはず。 そういうのってあるよね。

ねぇよそんなもん、って当時は思った。 でも、こうやって書いていてしみじみ滲んでくるのは、あるんじゃないかな猪狩さんのそれって、っていうことなんです。 そもそも霊感が恐ろしく強く、疎かに茶化せないところがあったというかそればっかりだったんですよ。 だから今、こうやって変なふうに冥福を祈ってるところです。

セブというベアデッドコリーにばかり、話が持っていかれそうになると思います。 しかし、その最初期にグーグーというキジトラの猫が旧宅にいたことを、一度だけ私は見たことがあります。 キジトラは野生種に近いとされ(これだって純さんからのアレだけど)、気性が激しく、なかなかに慣れないというグーグーが、案外に私にはおとなしく、やっぱ猫いいっすよね!なんて話を振ろうにも

犬と猫とは不仲。 だったらさ、両方とも飼って仲良くさせたらどう?

そういう不思議なポジティブさが女史にはありました。

現在、信州高遠美術館で展示されている女史の大作「太陽の旋律」は回廊に展示したことがあり、光に対する赤(本来はこの字じゃないです)と、闇を醸し出す青(本来はこの字じゃないです)がちょっとおもしろいよね、とか、

太陽の旋律じゃなくて、太陽と戦慄じゃねぇの?

って私が言ったら、すごい勢いで 5th を確認したけど、押し切られた。 こうだもん。

あたしの「太陽の旋律」は、「太陽と戦慄」だもん。

このあと、「ポセイドンのめざめ」の話になったのはいうまでもない。 もっとも女史とはプログレの話が多かった。

追記:このあと、個人的で感情的な文章になりましたので削除しました。 ともあれ猪狩さんのご冥福をお祈りします。