Land Of Cockayne (Soft Machine)

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9/17 に John Marchall が亡くなって、あぁそういえば今、別件で Soft Machine 聴いているなぁってなったのがこれを書いている 9/19。 しかも聴いているのがこの 1981 年リリースの、もはや Soft Machine 名義っていうのもどうだろうっていう 1 枚。

なにしろ Soft Machine っていうバンド自体が「オリジナルメンバーがいつの間にかいなくなったけどネームバリューでなんとかなってる選手権」のトップクラスのそれであり、それでいえば Soft Machine としてバンドとしての母国に帰れなくて脱退し、第二の故郷であるフランスで Gong を結成した Deavid Allen にしたってその Gong がメンバー的にどうなったかってういうと大変に興味深く、ここいらの人たちはなんというか・・・いろいろな問題を抱えすぎていたのかっていう話でもありますがそれはさておいて。

バンドとしては消滅していた Soft Machine を、その名義にしたのにどういう経緯があったのかはこのアルバムを主導した Karl Jenkins に訊いてわかるのかどうかわかりませんけれども、リリース当時は売れなかったことからも「セールス的に不安だからバンドの名前出しちゃうか」とか「なんなら元メンバーをゲスト扱いで演奏させちゃおうか」とか、よからぬ企みがあったことに間違いはないかと思いますし、結果内容がよくわからない、どこに軸を置いているのかがわかりづらいアルバムであることは確かで、まぁ・・・フュージョンかな・・・くらいの印象。 売れなかったのはそういう立ち位置の危うさがあったからだと思いますし、だからこそリリース後何十年も経った今、聴いてみると「なにこの清々しさ!」って映ってしまうから不思議。

Soft Machine 原理主義者にはもしかしたら受け入れがたいアルバムかも知れませんけど、Karl Jenkins と John Marchall の思い出アルバムということでひとつ、どうかひとつ。

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